Music(A Hard Day's Night)
1963年イギリスでデビュー。1969年解散。
2007年4月7日更新
ビートルズのCDとアルバム解説
Beatles の歩み Beatles の功績 ナンバーワンヒットシングル 再結成・新曲 Beatles & Me
Beatlesの歩み
John Lennon, Paul McCartney, George Harrison, Ringo Starrから成る、説明不要の60年代最高のイギリスの偉大なバンド。 JohnとPaulがほとんどの曲を作り、Georgeの曲はアルバムごとに2〜3曲収録されました。 Ringo は自作曲は数曲しかありませんが、ほとんどのアルバムでリードボーカルを一曲は披露しました。 JohnとPaul の曲は Lennon-McCartney 作となりますが、これはどちらが作った曲もこのクレジットで表記することを二人で取り決めたのです。 純然たる共作もありますが、ほとんどどちらかが主に作り、もう片方が少しアドバイスをあげたり一部の詩を提供したりして完成されました。 リードボーカルを取っている方が作ったと思って間違いなく、よく作詩が
John で作曲が Paul だと勘違いされがちですが、そうではありません。
彼らの実質的な活動期間は8年間。
オリジナルアルバム(イギリス発売) 12枚
1st Please Please Me<プリーズ・プリーズ・ミー> 1963
2nd With the Beatles <ウィズ・ザ・ビートルズ>1963
3rd A Hard Days Night<ビートルズがやってくる、ヤァヤァヤァ> 1964
4th Beatles For Sale<ビートルズ・フォー・セール> 1964
5th Help!<4人はアイドル> 1965
6th Rubber Soul<ラバー・ソウル> 1965
7th Revolver<リボルバー> 1966
8th Sergeant Pepper's Lonely Hearts Club Band<サージェント・ペパーズ> 1967
9th The Beatles (White Album)<ホワイト・アルバム> 1968
10th Yellow Submarine<イェロー・サブマリン> 1969
11th Abbey Road<アビー・ロード> 1969
12th Let It Be<レット・イット・ビー> 1970
1958年ごろにJohn Lennonが結成したQuarrymen(クオリーメン)から始まりました。このバンド名はJohnが通っていた学校名、Quarry Bank Grammar School から取ったものです。 その後Johnny & Moon Dogs, Silver Beetlesと名前を変えてドイツのハンブルグで巡業をしたり、地元 Liverpool のライブハウスCavernで演奏を繰り返しながら1961年にレコードショップの経営者、Brian Epstein(後に五人目のBeatlesと呼ばれるようになる)に見出されて、彼の努力によりレコード会社と契約を交わし、バンド名をThe Beatlesと改め、ドラマーを Pete Best から Rory Storme and the Hurricanes に在籍していた Richard Starkey(Ringo Starr) に代えて1963年に"Love Me Do"でデビュー。 彼らを発掘したBrian Epsteinはこのシングルを自分でかなりの枚数を買ったといわれます。 そのおかげかどうか、ヒットチャートの17位に上り詰めました。次のシングル、"Please Please Me"は2位。その次の"From Me To You"で初のチャートトップに立ち、彼らの連続一位記録の快進撃が始まります。
イギリスで大成功を収めた彼らは1964年にアメリカへ進出します。 シングル"I Want To Hold Your Hand"<抱きしめたい>が爆発的なヒットを記録し、エド・サリバン・ショーにも出演、彼らの主演映画、A Hard Days' Nightも公開され、アメリカでも大成功を収めます。 ツアー、レコーディング、TVや映画の撮影、など休む間もなく仕事に明け暮れ、1966年の7th発表と同時に以降はコンサートを一切行なわないと宣言します。 その時からスタジオでのレコーディングに興味を増し、より複雑な演奏形態によるアルバムを発表するようになり、8thはこの時まで彼らやロックについて批判的であった大人たちにも高い評価を得るようになり、LP売り上げの最高記録(当時)を達成しました。 当時、音楽の流れはサイケデリックムーブメントが主流で、その象徴的なアルバムになりました。
この後、Apple Recordというレコード会社を立ち上げ "Hey Jude/ Revolution" の大ヒット・シングルを送り出し、James Taylor、Mary Hopkin、Bad Fingerなどの歌手(グループ)をデビューさせ、一定の成功を見ますが、経営面でおざなりな部分があり、うまくいきません。 次第にグループ内で意見の食い違いが多くなり、次に発表された9thは2枚組みですが、4人が揃って録音した曲は数曲しかありません。 各メンバープラス他のミュージシャンで録音された曲が多数を占め、各々のソロ作品の寄せ集めのようなアルバムになりましたが、それぞれの特性が生かされた名曲ぞろいのアルバムになりました。 Ringoも初めて自分ひとりで作曲した曲を録音しました。 このアルバム・タイトルが皮肉ではあります。
9thの前後にはPaulの提案でMagical Mystery TourというTV映画と、ドキュメンタリー映画のLet It Beの製作がありました。 これらはPaul以外のメンバーはあまり乗り気ではなかったようで、グループ内の不和をより助長しました。 Let It Beの撮影の途中でGeorgeが来なくなったり、様々な出来事の末、アップルレコードのビル屋上での予告なしの生演奏でクライマックスを迎えますが、映画もサウンドトラックアルバムも収録曲をめぐっての確執があったりしてお蔵入りになりました。
もう4人がばらばらになり、JohnもGeorgeもソロ活動に専念し始めます。 Paul のひとりよがりなリーダーシップにうんざりしていたと言われます。 そのPaulはあくまでBeatlesにこだわり、4人でコンサートツアーを再開することを望んでいましたが、まずは次のアルバムを作ろうと説得して回ったようです。 その結果、もう一度4人が一緒にスタジオに入り作ったアルバムが11thでした。 全メンバーがそれぞれにこれが最後だという予感を抱いていたのでしょうか、このレコーディングではお互いが尊重しあい、グループの最後を美しく飾るということで一致団結したような、素晴らしい出来上がりです。 最後の収録曲が"The End"なのが象徴的です。 実はこの後にPaulが歌う"Her Majesty"という一分ぐらいの短い曲がありますが、しばらく音が無いトラックが続いた後にいきなり出てくる今で言う隠しトラックみたいな位置づけで、彼ら特有のユーモアだと思います。 もしかしたら隠しトラックの元祖も彼ら?
このあとにあの映画Let It Beと12th(サウンドトラック)が発表され、1970年に数曲のヒットを放ち、Paulが脱退宣言をすることによって、解散が決定しました。
解散後のメンバーの活躍は目覚しく、GeorgeはBeatles時代にアルバムに入れてもらえなかった曲をまとめて3枚組アルバム、"All Things Must Pass"(全てのものは過ぎていかなければならない)という意味ありげなタイトルのアルバムで発表しました。 シングルカットの"My Sweet Lord"はビルボードでチャート1位を達成しました。 Ringoもカバーバージョンですが、"You're Sixteen"でナンバーワンを記録します。 JohnとPaulについては彼らのページをご覧下さい。
Beatlesの功績
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1.ラブソング全盛のポップ・ミュージックに、歌詞の重要性、取り扱うテーマなど、フォーク・ミュージック的な要素を取り入れた。
Bob Dylanがイギリスへツアーを行なった時に彼らと交流し、Bobはエレクトリックギターのバンドサウンドの威力に大きな影響を受け、Beatles、特にJohn LennonはBobから歌詞の芸術性を学ぶことになり、この両者の融合により、Bobはフォーク・ロックへ転向し、Beatlesは歌詞を芸術的な詩へとレベルを上げるようになる。
2.シングル市場がターゲットでLPレコードはシングルヒット曲の寄せ集めなのが普通であったポップ・ミュージック界をアルバムベースに変えた。
50年代からロックンロールのレコード市場はシングルが中心で、アルバム(LP)はシングルの寄せ集めてきな性格を持っていたが、Beatlesは基本的にシングル曲はアルバムに収録しないというポリシーを守り通した。そのため日本や米国ではオリジナルアルバム以外にも編集アルバムがたくさん発売されたが、CD化に伴い、それらの曲は"Past Masters Vol 1 & 2"と、解散後に発売された通称赤盤、青盤などに集められて発売された。
(ちなみに、もうひとつの大きなレコード市場であったフォーク界では、シングルよりもアルバムが中心であった。)
3.ポップミュージックに様々な実験的な試みを取り入れることで、ただの流行歌にとどまらず、芸術の域まで一般の認識を高めた。
コンサートを行なわなくなった後、Beatlesはスタジオへ籠もりアルバムを製作することに集中。その過程で様々な音楽的実験を繰り返し、テープの逆回しで遊んでみたり、オーケストラのアレンジを入れてみたり、二つの曲を一つにつなげてみたり、効果音を自分たちで作って入れてみたり、現在では当たり前のようになっている様々なことを試みた。歌詞も上述の通り他愛の無いラブソングから脱皮し、様々なことをテーマに、言葉を巧みに操り、芸術的な詩を創り始める。 Georgeを中心にインド音楽をポップミュージックの世界に初めて取り込む。その結果、7thと8thは芸術的なアルバムとして高い評価を得、ポップミュージックを芸術の域へと高めたと認識される。
4.他のイギリスのポップグループのアメリカ進出への道を開いた。
Beatles/ビートルズの大成功により、イギリスの他のビートグループが次々とアメリカ進出を果たし、たくさんのヒット曲を送り出す。
Rolling Stones, Zombies, Dave Clark Five, the Hollies, Gary and Pacemakers, Kinks, Herman's Hermits、Searchersなどがアメリカでの成功を手中にする。 これをブリティッシュ・インベージョン/British Invasionと呼び、アメリカのポピュラーミュージックの大きな流れの一つになる。 これらのバンドを総称して、マージービート/Mersy Beatやリバプールサウンズ/Liverpool Soundsと呼んだ。
ヒットチャート1位を獲得したシングルの数Beatles の歩み Beatles の功績ナンバー1ヒットシングル再結成・新曲 Beatles & Me アルバム解説 TOP
イギリス:17枚 〜 3枚目の"From Me To You"から12枚目の"Yellow Submarine"まで11曲連続1位という快進撃を続けました。 但し、2002年にElvis Presleyの「新譜」が一位になり、イギリスでのこの記録は破られたそうです。
アメリカ:21枚 〜 1964年にアメリカデビューを飾り、以前2年分のシングルと新たなシングル合わせて怒涛のヒットチャートイン。 1位から5位までチャートを独占したこともあります。その時は計12曲が同時に100位以内に入っていました。
イギリスでのチャート一位の曲リスト
再結成−新曲−新譜?Beatles の歩み Beatles の功績 ナンバー1ヒットシングル再結成・新曲Beatles & Me アルバム解説 TOP
ビートルズ解散後、事あるたびにBeatlesの再結成が噂されては期待を裏切り続けてきましたが、1980年のJohnの悲劇的な死により再結成はもう二度と有り得なくなりました。 にも関わらず、Johnの息子、Julianを加えて再結成もあるのではないかという噂も出ました。 しかし、1990年代に入ると、Paul、George、Ringoの3人が、Beatlesを歴史に残すために伝記映画を作ると言う話が出てきて、それは"Anthology Project"として立ち上げられたのです。
第一弾として1995年に、それまで海賊版としてしか入手できなかったBeatlesのBBCラジオに出演したときの音源が編集されて公式に発売されました。("Live At The BBC") ここから"Baby It's You"がシングルカットされました。
次にその一環として、なんと新曲をレコーディングし、発表することになりました。 1995年に、Johnが残した実発表曲"Free As A Bird"のデモ録音に他の3人が演奏とボーカル、コーラスを加えると言う荒業で、新曲として発表したのです! それはマキシ・シングルでした。 この曲では3人の声が聞けます。 カップリング曲も彼らの未発表の曲やバージョンをつなぎ合せたものでした。
このシングルは未発表音源やそれらを編集した作品でぎっしり詰まった二枚組アルバム、Anthology Iで発表されたものでした。 このプロジェクトの象徴となった曲で、凝ったプロモーションビデオも話題を呼びました。 このプロジェクトはAnthology II, Anthology IIの3巻シリーズCDだけに留まらず、ビデオ、DVD、そしてテレビ放送とあらゆるメディアでBeatlesの全てを見せてくれました。
シングルはもう一曲、すでにJohnの生活を映したドキュメンタリー映画、"IMAGINE"で発表された"Real Love"も同じように録音して新曲シングルとして発表しました。 こちらはボーカルはジョン一人だけで、残りのメンバーは演奏に終始しました。
25年ぶりのこれらの新曲は残念ながらシングルはチャートナンバーワンとは行かなかったようですが、アルバムの方は3部作全てチャートナンバーワン(ビルボード)に輝きました。
1999年には映画Yellow Submarineで使用された全曲のリミックスバージョンを収めた、"Yellow Submarine Song Tracks"が突如発売されました。 こちらはオリジナルからインストゥルメンタルを抜いて、他の曲を加えたものですが、リミックスがなかなか素晴らしく、現代にマッチしてます。 後の"LOVE"の前ぶれだったようですね。
Anthology Projectは90年代後半をBeatlesで盛り上げ、新たなファンを獲得したようです。 プロジェクト終了後、2000年にはBeatlesのナンバーワンヒットだけを集めたベストアルバム"1"が発売され、驚異的な売上になり、日英米など世界19ヶ国でタイトルどおりアルバムチャートナンバーワンを達成したのです!
ほとぼりが覚めからぬ2006年にはニューアルバムと銘打って、"LOVE"が発表されました。こちらは、既存の曲を現代技術を駆使してリミックスして新たに蘇えらせたものです。 例えば、"Tomorrow Never Knows"の演奏トラックに"Within You Without You"(本物はGeorgeのインド楽器演奏がバック)を乗せたり、スピードを落とさない"Strawberry Fields Forever"など、まあ、面白い試みではあります。 新しいファンには受けたようですが、ファンの間では賛否両論が渦巻いています。
解散した後も何かと注目を浴び、世間を騒がせるBeatlesとは、今更ながらすごいものです。
Beatles & MeBeatles の歩み Beatles の功績 ナンバー1ヒットシングル 再結成・新曲 Beatles & Me アルバム解説 TOP
Beatlesとの出会いは僕のいとこの家でした。僕がまだ小学生のころ、同い年のいとこが彼のお兄さんの影響でBeatlesのファンでした。
年上のいとこ連中は、"Come together, right now, over me..".この部分だけを楽しげに口ずさんでいました。ある時は、ステレオがある部屋の電気を消して、ホワイトアルバム(9th)の"Revolution 9"(John と Yoko が色んなテープを切って貼ってつなげ合わせたりしながら作った、変なアバンギャルドな10分近くある作品)を聞かされました。ちょっと怖かったですね。
僕が高校で入ったサークルが「英会話サークル」。そこで先輩が英語の歌を教えてくれたのですが、"Hey Jude", "Let It Be", "She Loves You",
"All My Loving"と、ビートルズの歌攻めでした。
ちょうどそのころ、隣の家政大学か、帝京高校のどちらかで夕方6時ごろにはいつも決まって"Let It Be"のメロディーが流れていたので、僕らの高校でも隠れたヒット曲でした。
そこでBeatlesと出会い、夏休みにいとこのところへ行くと、彼のお兄さんが持ってたBeatlesのアルバムを片っ端からカセットテープに録音して、毎日のように聞き始めたのでした。そう、それはおそらくJohn Lennonが凶弾に倒れた直後のことだったと記憶しています。
ちょうど中学3年生ごろから日本人とアメリカ人の混成バンド、ゴダイゴがブレイクし、英語の歌を流行らせ、ぼくはこのグループに夢中になっていました。
ゴダイゴのアルバムを生まれて初めて自分で買ったのを皮切りに多くはない僕のお小遣いはゴダイゴとBeatlesのシングル、アルバムとレコードを買うのに費やされました。僕が生まれて初めて買ったシングルは、「Hey Jude/ Revolution」でした。
ゴダイゴがあるときテレビ出演したときに、タケカワユキヒデは、Beatlesの影響が大きかったと語られたのです。これで僕のBeatlesに対する興味が膨らんでいたのです。そこで、サークルでの歌でしたから、ゴダイゴこそ僕の洋楽世界への入口だったのです。
現在はビートルズの歌は全曲知っています。そらで歌える曲も結構あります。
好きな歌は、"No Reply""A Hard Days Night""If I Fell""I
Should Have Known Better""In My Life"などJohnの渋いボーカルが光る曲です。Paul の曲では"Back In The USSR" が好きですが、Beatlesの歌で好きな曲をあげるのは至難の業です。やはり全部好きだといったほうがいいかもしれません。
嫌いな曲は"Revolution 9"。これは歌えません。歌えない歌はいやです。
カラオケでよく歌うのは"HELP!"と"Let It Be"。
一時期、ビートルズのカバーバージョン集めや、Lennon-McCartneyの作品で他の人に提供された曲を集めることに夢中になりました。
Apple Record所属のMary Hopkinの歌う"Goodbye"と、Badfingerが歌う"Come And Get It"、Billy J Kramer & the Dakotasの"Bad To Me"とI'll Be On My Wayは僕の好きな曲で、それぞれヒットしました。 カバーバージョンではHolliesの"If I Needed Someone" 、Tiffanyの"I Saw Him Standing There"、Elton Johnの"Lucy In The Sky With Diamonds"が好きです。
所有CD
アルバム
Anthology 1
Yellow Submarine Songtrack
Live at the BBC
Silver Beatles
2002. 4. With the Beatles
2002. 4. Please Please Me
The British Are Coming (Interview CD)
シングル
Real Love
Free As a Bird
Help/I'm Down
その他、海賊盤多数
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