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[イムさん本人が書いたあいさつ文の翻訳]
「林秀卿(イム・スギョン)とともにする平和コンサート」レポート

おことわり
このレポートは北朝鮮が日本人拉致を正式に認める前に書かれたものです。(PAUL KIM)


イム・スギョン(林秀卿)さんは1989年の初夏にヨーロッパ経由で、朝鮮で開催された、「第十三回世界青年学生祝祭」に単独、韓国代表として参加しました。当時、朝鮮人民ばかりか在日の私たちも彼女を「統一の花」と称え、喜びました。

韓国政府はいかなる代表も送らないと決定していたにも関わらず、彼女は「全国大学生協会」の代表として命をかけて参加したのです。祭典の後、ピョンヤンに残ってハンガー・ストライキを行ないました。その後に、板門店を通って韓国へ帰り、その場で逮捕、連行されました。

釈放された後は結婚もし、様々な活動を続けて現在は韓国外国語大学新聞放送学科博士課程を受けています。 そのイムさんが最近日本でコンサートを催しました。

1989年当時の感動を蘇らせ、その後どのような生活を送ったのかということを歌でつづりながら、祖国の平和と統一を願う内容です。当時彼女と共に活動した「全大協」の仲間と一緒に行ないました。 当時彼女を熱烈に支持した在日同胞への感謝のしるしということでした。

「林秀卿とともにする平和コンサート」は2002年2月29日(金)に東京の北区赤羽会館で行なわれました。 観客はほとんどが在日同胞でした。

韓国の現役プロフォーク歌手も参加し、反戦平和と祖国統一を願う歌をみんなで一緒に歌いました。

最初に登場したのが韓国のプロ歌手、イ・ジョンヨルさん。
なんと、あのBob Dylanのプロテストソングを2曲、朝鮮(韓国)語で歌いました。「風に吹かれて」と「激しい雨」。もう最初からステージに引き込まれました。その後彼のオリジナル曲の後、韓国80年代反政府学生運動でテーマソングのように歌われた「朝露」を皆で歌ってステージを締めました。

次は、イムさんの「その後」を記録した映画が流れました。バックには韓国フォークソング界の重鎮、アン・チファンの曲。この映画で、当時私が新任教師として、生徒たちと共に彼女の英雄的な行動に熱狂していた'89年当時のことが脳裏にどんどん蘇ってきました。

スケジュールにあったはずの休憩を跳ばして、第二部に入り、在日同胞舞踊家の独舞、詩の朗読などがあり、このコンサートの一つの目玉、リムさんの歌の順番です。

でもその前に小さなイベントがありました。 先の映画に出演していた坊やが現れたのですが、なんと彼女の息子さんだったのですね。 彼が日本人の女の子を連れて、共に「韓・日ちびっ子たちの共同平和祈祷文」なるものを朗読したのです。坊やは将来良いタレントになれるような素質を光らせていましたよ。

イムさんは決して歌が上手なわけではありませんが、彼女が歌った、今は亡き母親へ送る歌は、母親への愛情に満ち溢れ、これからも力強く生きていくということを高々に宣言したように聞こえました。

このあと、フィナーレへとどんどん盛り上がって行きます。80年代を通して学生運動圏で好んで歌われた歌がソプラノ歌手の口から力強く弾けます。 あの「イムジン江」も歌いました。

最後の二曲は統一を願う歌のスタンダード。 「荒野にて」と「我らの願いは統一」。 最後の全員総立ちの合唱は圧巻でした。 少なくともその場ではみんなの祖国統一に対する思いが一つになったと思いました。

さて、私たちはイ・ジョンヨルさんのCDを買うために早めに外へ出ましたが、知り合いを見付けて挨拶などしているとなんと、イムさん自身が見送りに出てきたのですが、もうそこはパニック。彼女と写真を撮るやら、サインをもらうやら、彼女も喜んで応えていました。 さすがに私たちは年甲斐もなく、照れくさいので、横でしばらく眺めては立ち去りました。(ちょっと悔やんでいます…)

このページをごらんの皆さん。 このレポートをきっかけにして私たちが日本で生まれ育ちながらなぜに民族にこだわり、朝鮮や韓国の「国籍」を持つ、外国人として生きることを敢えて選択しているのか、この機会に再考していただければ幸いです。

特に最近は、アメリカなどのいわゆる「先進諸国」が朝鮮に対しテロ支援国家というレッテルを貼り、非難の嵐、誹謗中傷を浴びせています。 日本政府も拉致問題を抱え、独自に朝鮮に厳しい姿勢を向けています。 去年の南北首脳会談の劇的な瞬間ももう過去のものになってしまったような今日この頃。 楽しみなのは共催ワールドカップサッカー。 これもうまくいけば南北合同チームになっていたかも知れなかったイベント。

朝鮮がいいの悪いの言う前に、朝鮮が行なっていると言われていることについては一般の在日同胞は一切関与していませんし、決定権も、投票権もありません。 こちらも困っています。 特にこのような問題で朝鮮学校(日本国内各地にある在日のための学校で、中学、高校の女子生徒は朝鮮の民族衣装を制服としている)に通う学生たちに手を出すということは本当に許せません!

いつも朝鮮が問題になると、電車の中や駅のホームなどで生徒たちに嫌がらせをする輩が現れます。 ある者は「テメエら、朝鮮人なら朝鮮帰れ!」などの暴言を吐き、他の者は女子学生の制服をカッターナイフで切り裂きました。

あまりにも危険なため、中高の生徒たちは別の制服と着分けることになりました。 ただし、制服は制服で、覚えられればまた同じ事が起こり得ます。

このような問題が、世界的スポーツの祭典の共催により少しでも無くなれば良いと思います。

最後までお読みくださった方、どうも大事なお時間を割いていただきまして、本当に感謝いたします。もしお時間がおありでしたら、ご感想を送っていただければ嬉しいです。

このあとにコンサートのパンフレットから抜いた、あいさつ文があります。
こちらまで。よろしくお願いします。

Paul Kim


※このレポートはメールマガジン、「在日の詩・春遠からず」に掲載したものをホームページ用に訂正したものです。


イム・スギョンさんのあいさつ文・日本語訳

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「歩んできた道とこれからの希望がここにあります」

あっという間に13年目を迎えました。北の地に初めて足を踏み入れ、民間人としては初めて板門店を通って帰還するまで、その地で出会った方々の優しい顔を、私はこの間一度も忘れた事はありません。

その地には北の兄弟だけがいたのではありません。 直接会うことは出来なかったとはいえ、海外の同胞たち、特に日本におられる同胞の皆さんが私にどれほど多くの愛情と激励を送ってくださったことでしょうか。 そのありがたさは言葉で表現できるものではありません。 私が今日まで生きてこられた力は、まさしく、みなさんからいただいたものでした。

しかし、未だ南北の自由往来は実現されていません。 自由に会うことが出来ない現実は、今も昔も変わりありません。 多くの人々が希望を失っているようにも見えます。統一に対する夢を失いかけているようにも見えるのです。そればかりでなく、今の世界は戦争の惨状と砲煙に覆われています。すべてのものが霧のようにぼんやりとだけ見えるのが現実ですが、はたして本当にそうなのでしょうか?本当に私たちは平和と統一に向けた夢と希望を失いつつあるのでしょうか?

もう一度探してみたいのです。 その夢と希望を…。 昔私たちが歌った統一の歌を…。 厳しい弾圧と闇が支配していた時には、声高らかに全身をふりしぼって歌ったとすれば、今は心に染み入る感動としてみなさんと共に感じてみたいのです。

私たちは昨年12月15日、大阪で初の公演を行ないました。出演者と観客が一つになって共に泣き、笑い、歌いながら統一は南北だけの問題ではなく、海外同胞たちにとって、より切実な問題であるということ、また、我が民族だけの問題ではなく、全世界の平和の問題だということを確認することができました。

みなさんが私に与えてくださった大きな愛と激励、勇気と力を、今度は私がみなさんにお与えしたいのです。公演の準備過程で多くの人々が私の考えに共感してくださいました。80年代と90年代の険しい道を共に歩んできた先輩、後輩、同僚たちが快くこの公演に参加してくださいました。各々異なる生活現場にいながらも心を一つにして準備を重ねながら、共に泣き笑い、多くのことを感じることができました。新たな決意も固めました。 私たちが歩んできた道とこれからの希望がここにあります。この公演を通じて、統一祖国の美しい夢と未来への希望を探せることを期待しています。

(後略)
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