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このエッセーは、2004年のある日に先生が自分が卒業した小学校を訪問したあとに書いたエッセーです。 

本文中には、同級生が皆亡くなり、自分ひとりがポツンと残ったとの記述がありますが、10名ほどまだご健在だということが、今年になって分りまして、3月10日、東京大空襲60周年の日に、同窓会が催されました。その同窓会のためにこのエッセーはつづられ、同窓生の皆さんにも配布されました。

エッセー
「ああ、3月10日」

語彙解説

太平洋戦争が終盤に入った頃のこと。 私は東京の下町に育ち、大空襲に見舞われた。
一九四五年三月十日、午前二時か三時頃のまだまっ暗な時だった。いつものように空襲警報が解除されたと思う間もなく、再び空襲警報のサイレンが鳴り響いた。時すでに遅し。

三百二十五機の米軍B29爆撃機は、日本の戦闘機がその十分の一ほどにしかならない大きさで果敢に体当りをするが問題にせず、整然とじゅうたん爆撃を開始。浅草の繁華街から向島・本所一帯は爆弾とM69焼夷弾のるつぼと化した。サーチライトと照明弾の明りでそれらが雨あられと落下して来るのが視野に映る。なにしろほとんどが木造家屋であったため、ひとたまりもない。 メラメラとあちこちで火の手が上り、百五十キロ爆弾がヒューヒューと唸り、ドカンと轟音を立てる。それ所ではない。1トン爆弾が落ち、鐘ヶ渕駅から堀切駅にかけレールがひん曲がり、私はその堀切駅のそばで十メートルものすごい穴を見つけた。

私の家は丁度東武鉄道の踏み切りの側にあったが、このように小さな平屋でさえ焼夷弾は五つも六つも瓦屋根から天井を突き抜け、部屋や台所、庭先で容赦なく火の玉をはじき飛ばした。

十六歳の私は防火用水を体中に浴び、バケツで用水を火にぶちかけ、用水が無くなるとドブ水まで使い果した。いつの間にか町全体が火の海となり、私のしていることは、森火事を小鳥が一羽で消すの図でしかなかった。それどころか私自身が火に包まれてしまい、その先端で荒れ狂うどす黒い煙りが、悪魔のように私の息の根を止めにかかっていたのである。

幸い鉄道のレールが敷かれていたのでそこへ這い上りトカゲのようにウロチョロしながら九死に一生を得た。

次の日、私は家族を離れ焼け野原となった瓦礫の間を通り、隅田川の土手の上をトボトボと何十キロも歩いた。家が焼けたことを田舎の親戚に知らせるためである。その時、川を眺めて驚いた。一面に死体が浮いており、水辺では防空頭巾とモンペ姿の若い女性の顔や手が、ろう人形のようにまっ白く、鼻から血がうっすらと出たり入ったりしている。皆、仰向けになったり、俯(うつむ)いたり、横になったりして、だるまのように膨れ、波の動くままに漂っていた。

ずっと彼方に荒川との堰(せき)があり、そこでは五・六人がそれぞれボートに乗り、トビロを使って死体を引き上げていた。一望千里というが一望千人の死体である。後で知ったことだが、両岸の火の勢いが強く橋へ避難した人々が、その熱に堪え切れず次々と川へ飛び込んだのだった。思えば自分自身が何故生きていたのか、あまりにも不思議でならない。

そのうち、今度は反対側の土手下を軍用トラックが何台も走って来た。これまた、まっ黒になった死体を山のように積んで、砂ぼこりをたてながら、焼けただれた匂いをばら撒いて去って行く。涙が出ない。悲しみなぞ、とうに通り越した地獄絵そのものであった。 ちなみにこの日だけで無慮十万人もの犠牲者が出ている。

やがて戦争終結。そして時代は移り、人も村も都市も変わり半世紀が過ぎた。

昭和一ケタ生れは長生きせぬといわれる。

私は昨年暮れ、母校の隅田第二尋常小学校を訪ねた。まさに六十年ぶりである。校長始め関係者が集まり私を浦島太郎のようだと言った。しかし、そこには、私の卒業記録も成績表も何もなかった。それに四十人以上いた級友の、四分の三が大空襲で亡くなり、最後の級友は五年前、交通事故で亡くなったという。つまり、私一人だけがぽつんと残されていたのである。英語の諺に "There never was a good war, nor bad peace." (善き戦争のありしことなく悪しき平和のありしことなし)というのがある。人類にとって天変地異はいざ知らず、人類が人類を滅ぼし、自分さえも滅ぼしてしまう戦争だけは絶対に許してはいけない。

その時の苦難のおかげで、今日まで私はいい加減なことでは屈しなくなった。これからは、先に逝かれた旧友たちのためにも「平和」を愛し、特に私の祖国である朝鮮と日本の友好親善を積極的に促したいと想う。



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日本の戦闘機 このときはゼロ戦で、特攻隊であった。
トビロ 消防用具のとび口(くち)のこと。江戸っ子言葉では「とびろ」と言ったそう。
There never was a good war, nor bad peace この英文は間違ってはいないと思うが、一般に知られているのは正しくは nor ではなく、or