"The Stranger" ビルボードのアルバムチャートで2位という大ヒットを達成し、ここから4曲が大ヒット。"Just the Way You Are <素顔のままで>", "Movin' Out (Anthony's Song)", "She's Always A Woman" (あの有名なタイトルソング"The Stranger" は米国・欧州では"Moving Out"のB面)これで Billy は押しも押されぬスーパースターに。 同時に以前のアルバムの新たに注目されることになる。
〜 このアルバムからのヒット曲 "The Stranger" を高校時代に気に入り、中古レコード屋さんでシングルを購入。テープに録って何度も聞いた。B面だった "Movin' Out" もノリが良くて好きになったが、歌詞の中のセリフで "Sonny" というニックネームが使われていて、後に僕がアメリカでニックネームを
Sonny と決める際の根拠となった。今思えばこれが Anthony のニックネームとして使われていたのか、son (息子)を愛称化した「あんちゃん」という意味で使われていたのか、分からない。
"52nd Street< ニューヨーク52番街>"(1978) "My Life" "Honesty" "Big Shot" がヒット。初のアルバムランキング1位を獲得!
"Glass Houses" (1980) "It's Still Rock'n Roll to Me <ロックンロールが最高さ>" が彼にとって初のビルボードチャート1位を獲得。ロックンローラー・BILLY JOELを前面に出したアルバム。 他にも "You May Be Right <ガラスのニューヨーク>" "Don't Ask Me Why"がヒット。
"Songs in th Attic" (1981) 初期のアルバム収録曲を蘇らせたライブアルバム。"Say Goodbye to Hollywood <さよならハリウッド>" が(特に日本では大)ヒット。初期の曲も素晴らしい曲だったということを世界に知らしめた。
〜高校一年生のとき、ここからはリアルタイムで Billy の歌を体験しはじめる。シングル"Say Goodbye to Hollywood" は新譜で購入。FM東京のある番組の年間ベストテンでナンバーワンになったが、その番組を録音して何度も聞いていた。歌詞の "Life
is a series of helloes and goodbyes"(人生は「初めまして」と「さよなら」の連なりだ」)という歌詞が表現的にとても新鮮で感動的だった。(HELLO
と GOODBYE が名詞で複数形にもなるんだ!)
〜これは高校時代に聞いていた文化放送の深夜の英語教育番組「百万人の英語」土曜日の小林克也が講師を勤めるポップスで英語を教える番組で "Pressure" が取り上げられたのを聞いたのが初めて。歌詞の内容が妙に哲学的で、Sesame Street が出てきたり、とても興味深かった。その他の曲は大学に入って寄宿舎で同室だった友人が
"Greatest Hits Vol 1&2"を買ってきて、"Allentown" のメロディと雰囲気が気に入ったくらい。
"An Innocent Man" (1983) Billy が影響を受けた50〜60年代サウンドを蘇らせた、ヒット曲満載のアルバム。A, B面を合わせると、一曲を除き全曲がシングルで発表された。その中でA面曲のみ取り上げても、"Uptown Girl[3]" "Tell Her About It <あの娘にアタック>[1]"
"This Night <今宵はフォレバー>[?]" "An Innocent Man[10]" "The
Longest Time[14]" "Leave A Tender Moment Alone <夜空のモーメント>[?]"
"Keeping the Faith[18]" と7曲にもなる。([ ]内はアメリカでの最高位、[?]は日本のみのシングルカットの可能性あり)B 面の曲はネタ切れになり、"Nylon Curtain"から2曲取り上げられた。
〜この時期は高校卒業後で大学にも行く前、少ない給料で仕事をしていた時代。休日には立川のレコード屋さんへ行って Billy の新曲が出るたびに買っていた。丁度 "This Night" が最新シングルだったときで、ベートーベンの音楽を使っているということが気になりそのシングルを購入。その後発売されたシングルは全部買ってしまった。そのためこのアルバムを買う必要はなくなった。後に英語教師になったときに同僚の教師が
"The Longest Time" (Billy が一人で何役もこなしたアカペラコーラスの歌)を気に入っていて生徒に教えていたのが印象的。教師を辞めて、このアルバムが1800円くらいで買えるようになったところでCDアルバムを購入した。
"Greatest Hits Vol1 & Vol 2<ビリー・ザ・ベスト>" (1985) この間、"USA for Africa" の "We Are the World" に参加。その後に発表されたベストアルバム。彼のヒット曲がほとんど収録された集大成アルバム。新曲が二曲収録されたがその "You're Only Human"と"The Night is Still Young" がカップリングでシングルカットされた。当然こちらもヒットした。
"The Bridge" (1986) Christy との再婚、娘 Alexa Ray の誕生を経て制作された久しぶりのオリジナルアルバムは豊富なゲストを向かえた力作。中でも彼が尊敬していた故
Ray Charles とのデュエットを "Baby Grand" で実現させた。他には Cyndi Lauper と Steve Winwoodがゲスト参加。このアルバムでは、"Modern Woman" が、映画 RUTHLESS PEOPLEのサントラとしてアルバム発表に先駆けてヒットした他、"A Matter of Trust" "Baby Grand" "This is the
Time" がシングルカットされた。
"KOHUEPT (Live in Leningrad)<CONCERTO>" (Kohuept) (1987) 1987年に行なわれたソ連でのライブを収めたアルバム。ゴルバチョフ大統領の元で推進されたペレストロイカに伴い、自由主義圏の音楽を開放し始めた頃の親善大使的な役割でソ連でコンサートを実施。the Beatles の "Back in the USSR" をカバーし、この曲がシングルカットされた。TV出演時に演奏した Bob Dylan の "The Times-They Are A-Changing"も収録。ベトナム戦争の体験を歌った "Good Night Saigon"のときの Billy のコメントと観客の反応が印象的だ。
〜発売当時は大学生だったので話には聞いていた程度だったが、英語教師になって十条駅前のレンタルCD屋さんで借りて録音。Billy 版の "Back in the USSR" と "The Times-They Are A-Changing" に感動。それまで聞いたこと無かった彼の過去の曲も僕にとってはとても新鮮で魅力的だった。純粋なピアノ弾き語りで歌われる "Honesty" も良い味を出していた。
"Storm Front"(1989) このアルバムで画期的なのは彼の40年の人生で起こった歴史的な出来事を年代別にまとめて羅列した歌、"We Didn't Start the Fire <ハートにファイア>" が先行シングルで発売され久々のビルボードチャートでナンバーワンを獲得したこと。他にもソ連訪問時の体験を元にした "Leningrad", 英語の有名な諺をテーマにした "When In Rome" など面白い曲が入っている。"I Go To Extreme <恋はエクストリーム>" "The Downeaster 'Alexa'"もヒット。
〜これが出たのは教師1年目のとき。だが、このアルバムを知ったのは翌年に授業に入った高校3年生のクラスで、ある生徒が「Billy Joel がイ・スンマンとか板門店が出てくる歌を歌ってるから教えてよ、今流行ってるんだから」と言ってきたから。急いで当時通っていた数箇所のレンタルCD屋さんを回って探したら、"We
Didn't Start the Fire" のシングルを見つけたので借りてみた。そしたらこれが大変面白い。気に入ったのでアルバムも借りて録音して聞いた。しかし授業で教えるのは適当ではないと思い、取り上げなかった。
"River of Dreams" (1993) 混沌とした世の中に対する失望と警告が表れながらも、常に夢を持つことを訴えるアルバム。"The River of Dreams" "All About Soul <君が教えてくれるすべてのこと>"
"Lullabye (Goodnight, My Angel)<眠りつく君へ>"がヒット。
このあと Billy が大観衆の前に登場するのは2001年10月20日。 アメリカ合衆国で同時多発テロ被害者のために開いたコンサート。Paul McCartney の呼びかけで、John Mellencamp やBon Jovi も参加したこのステージで演奏した"Miami 2017" と "New York State of Mind"は初期のアルバム"Turnstyle<ニューヨーク物語>"に収録されているこの場に打ってつけの曲で、大いに盛り上がった。そう、彼こそはNew Yorkを象徴する歌手なのだ。この様子はライブアルバムコンサート・フォー・ニューヨーク・シティで聴ける。